参加応援プログラム:いわきスタディツアー

 昨年、暮も押し詰まった12月22日(日)、三連休の合間をぬって福島県いわき市に行きました。
 目的は、3.11大震災の爪痕を、少しでも記憶に焼きつけること。
 大震災当日、北海道でもこれまでに感じたことのないほど長い揺れを感じ、足がすくんでしまい(腰が抜けたような状態でした)、何とかテレビをつけました。その後、状況が次々に映し出され、現実とは考えられない画面にくぎ付けになってしまいました。
 最初の恐怖は津波、その後次第に明らかになる原発事故。
 テレビで映る被災地の状況に、もう少し若かったらボランティアに駆けつけるのに、と何もできない自分が寂しかったものです。
 今回、復興支援スタディツアーというものがあると聞き、自分の記憶の整理と、何か少しでも支援になるならと思い、津波と原発事故の二重の被災を受けている福島県に是非行きたいと考えました。

 福島空港からレンタカーでいわき市に向かい、そこで現地のガイドさんが同乗し、国道を北上。原発事故のため帰還困難区域となっている閉鎖ゲートまで行きました。
 途中の楢葉町は、避難指示解除準備区域(まだ正確には、いつ帰れるとは決まっていないそうです。)となっていますが、水田の跡地に、住宅地などからでる除染作業で出されたものすごい量の枯れ葉や土などが集められていました。表土は3センチほど削ります。でも、このビニールシートがかけられたのは最近のことで、それまでは野積みだったそうです。

楢葉町の除染後の枯葉等1
楢葉町の除染後の枯葉等2

 家々の外壁や屋根などの除染は、水洗いだそうですが、その水はどこにいくのでしょうか。
 また、山林の除染は、・・・と考えると気が遠くなります。

 その後、居住制限区域の富岡丘町に入りました。午後3時までにはこの地域を出なければならないようで、実際、街では除染作業等関係者や警察官くらいしかおらず、動く車は街を巡回するパトカーくらい。誰も住めない町、作業車以外はめったに車も通らないのに、信号機は誰のために点滅しているのか、規則正しく動いています。誰も来ないのはわかっていても、習慣で赤信号に止まってしまいます。

居住制限区域の富岡丘町1
居住制限区域の富岡丘町2
ずっと桜並木が続いてます。今年も満開だったそうです。

 見た目は何の問題もなく、平和そうに街路に花が咲いています。(冬でもこのあたり(浜通り)は暖かく、雪が降るのは年に2~3度だそうです。)
 ガイドさんのお話では、これら何の問題もなさそうな家に見えるけど、家の中は結構荒れていて、人が住まないことからネズミが大発生したり、放し飼いとなった馬や牛が夜に歩き回り、果ては家畜の豚が野生の猪と交雑してイノブタになり、家の中に入り込んで荒らしているそう。
 実際、途中でイノブタに出くわしました。(耳がたっているので、豚ではないそうです。)

居住制限区域の富岡丘町3
居住制限区域の富岡丘町4

 このような状況で、家の整理をする気力も失われ、隣近所の人も片付けに来ないことなどから、帰宅意欲がいよいよ失ってきている人も多いそうです。
 また、原発事故直後の避難勧告では、風向き等放射能汚染の広がる方向が明確にされておらず、かえって放射線量の強い方に導かれ、再度避難を余儀なくされたとのこと。ここでも、多くの人がつらい思いをしたのですね。

居住制限区域の富岡丘町5
居住制限区域の富岡丘町6
時計が地震発生の14時46分で止まってしまった学校。

 そろそろ3時をすぎそうなので、U ターンをして、ナショナルトレーニングセンターJ ヴィレッジをちょっと覗こうとしましたが、警備員から退去を命ぜられました。ここは、東京電力福島復興本社及び前線基地として、約1,000名もの作業員等が寝泊まりしているところ。また、すぐ近くにも、全国の警察官が詰めている施設も。 ものすごい数の人々が、復興に向け作業しています。
 帰る途中、津波で根こそぎ持っていかれてしまった駅舎、線路わきにころがっている船が点在している中、ぐっちゃっとつぶれたパトカーがありました。このパトカーには、二人の警察官が乗っていたそうで、一人は車の中から発見されましたが、もう一人は行方不明だそうで、非番の時など同僚の警察官たちが今でも探しているそうです。

居住制限区域の富岡丘町7 パトカー
居住制限区域の富岡丘町8 パトカー

 このあたりは、岩手県などと違い、津波の歴史がなかったそうで、昔から「この土地は津波の心配がいらない」と言われていたそうです。なので、津波の被害に遭われた人は、第1波が来た後に、堤防まで見に行った人が多かったそうです。警察官たちは、その人たちに危険を知らせていたのでしょうね、きっと。

いわき市久之浜地区 河原に打ち上げられている漁船
河原に打ち上げられている漁船
いわき市久之浜地区 道路がえぐられ、堤防上のガードレールも損壊
道路がえぐられ、堤防上のガードレールも損壊

 また、被害を大きくしたのは、火災でもありました。途中のいわき市久之浜地区では、火がでてしまい、丸1昼夜焼けたそうです。そのため建物は全部消失し、基礎のコンクリートが何か所にも、賽の河原のように積み重ねられていました。その中に、奇跡的に残った家が1軒、住宅の所有者が行方不明で処分できず、整備区画で孤立していました。
 通りを隔てて被害のない家もあり、運・不運と片付けてしまっていいのか、何か不思議な感じがしました。神社の鳥居だけが残っていたり、人間には計り知れない何か大きな力がある、と確信しました。

いわき市久之浜地区 がれき
いわき市久之浜地区 所有者がおらず、取り壊せない住宅
所有者がおらず、取り壊せない住宅

 最後に、久之浜の復興商店街。
 商工会が、久之浜小学校のグランドに仮設商店街を建てました。
 これまで、文部科学省では、復興対策のために教育施設(グランド)に応急仮設住宅の建設は認めていましたが、今回は、民間の商店街を建てるということが認められた第一号で、その後他の被災県・地域でも取り組まれるようになったとのこと。
 小さな仮設商店街のお店1軒1軒が、助け合いながら、頼りあいながら暮らしているようで、お話を伺った電気屋のおかみさんも、自分の元いた街の焼け跡の店の写真を指さしながら、「やっと笑えるようになったよ。あのまま仮設住宅に引きこもったら、泣いてばかりでだめになる、だからこうやって人と話せるように店を始めたんだよ」と、明るく、それでも時には涙ぐみながら話してくれました。
 ちょうど、クリスマス直前で、ボランティアの青年たちが、サンタさんに扮し、近所の子供達にプレゼントを渡していました。
 この子供達にとって本当のプレゼントである、安全な地域、安心して暮らせる我が家が与えられるのは何時になるのでしょうか。

久之浜の復興商店街1
久之浜の復興商店街2

 復興支援という意味では、いろいろな手法があると思いますが、直接ボランティア活動ができない私は、できるだけ多くの人に、現在の状況を話し、理解を広げるというのも一つの手法と思い、このレポートを書きました。

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